英賀神社

〒672-8080 姫路市飾磨区英賀宮町2丁目70
TEL:079-239-6921
FAX:079-239-8063

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カテゴリー3
英賀彦神・英賀姫神・英賀獅子

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英賀城について(英賀岩繋城 / あがいわつぎじょう)

 英賀城の創建は遠く古代にあり、その構相は築城史上極めて特殊の形式に属するものであります。抑々当地は英賀彦神・英賀姫神の開拓創始の地であってその起源は遠く神代に発しております。彦姫二神については播磨風土記に英賀の地名はこの神名に因ることを記し、又三代実録には元慶5年神位授与のことが記載されていて、古く朝廷の尊崇きわめて篤く衆庶の敬信すこぶる深かったことを物語っているのであります。当地が上古において播磨国の府中となり又英賀の市として栄え、播陽文化発祥の地とも故ないことはないのであります。 

 さて英賀城は国府庁の跡を受け平安時代において早くも一城郭をなし、鎌倉時代には吉川、赤松両氏が居城し、室町時代に至り1441年(嘉吉の乱)で赤松常陸介祐尚卒後、嘉吉元年正月に初代 三木右馬頭越智通近が入城し4代通武により新城として築かれた。規模雄大な本丸・二の丸等の居館を営み、古代からの自然地形を活かして、西は夢前川・東は水尾川を限界とし、北部は湿田と豊富な湧水を利用して深い外堀を築造し、南部は内海を利用して港とし、全国でもっとも古い「水城(みずじろ)」であった。港の岸に繋ながれた巨岩のような城で、守りすこぶる堅固で「英賀岩繫城(あがいわつぎじょう)」とよばれた。

 通近は四国伊予の国守河野氏の一族でありまして、通近から近重、通重、通武、通安、通規、通秀、通明、通秋、安明、相承けて城主となりました。第5世通安の時、更に城郭の規模を拡大し威風四隣を圧するものがありました。本城主の支配した領地は東は高砂から西は室津に至る播磨灘沿岸全地域にわたり、その領米は36万俵に及びました。

 当時の城下町は49ヶ町を数え神社一(現在の英賀神社)寺院は英賀本徳寺を始め35ヶ寺を算し、三木氏一族の政治都市、市場町から発達した商業都市、浄土真宗英賀本徳寺を中心とした宗教都市という三つの性格をもち「西の京英賀千軒」といわれ、播磨中心都市として繁栄した。室町時代、英賀城は三木城、御着城と共に播磨の三大名城であった。

 然るに羽柴(豊臣)秀吉の中国平定の途その攻略に遭い城兵主従この要害によって力戦奮闘を重ねましたが天正8年2月13日遂に落城、落城当日の戦死者は、本城のみで1,237名を数え、城郭、社寺、城下町はすべて兵火により灰燼に帰し、士民亦離散して三木氏10代の栄華は一睡の夢と化しました。

 英城日記(天正10年僧道定編纂)に依れば初代通近の築城当時本丸は東37間、西39間3尺、南52間、北31間1尺、二の丸は、東51間1尺、西50間、南北34間3尺とあり、5代通安の大改修に当っては方2町の市庭館を中心に土井、堀内、井上の四本家の館をはじめ諸士の居館、各櫓、城門並に数多くの武庫倉庫に至るまで完備して壮観を極めたことを記してあります。