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司馬遼太郎先生「播磨灘物語」文学碑

・碑文

ふるい物の本に、「英賀の中浜に古城址あり。赤松の幕下に三木右馬頭通近より九代通秋まで相続の居館とぞ。三木は本国伊予。河野の末葉也。属塞は町之坪、山崎、岡田、飾磨津等に在り」とある。私は家系など一種の虚構だと思っているが、じつは私の家も先祖が英賀城に籠城していた。さらにいえばこの『播磨灘物語』は、その伝承が触媒になって構想がふくらんだ。
司馬遼太郎先生「播磨灘物語」文学碑 平成3年3月2日 司馬遼太郎


・司馬遼太郎作「播磨灘物語の英賀の浦」
 英賀東町・中浜町地先一帯旧播磨灘

司馬先生の先祖は三木氏の一族で祖父福田惣八は広(広畑区)の出身、広の西福寺壇徒で尊父福田是定の時大阪に移り住まれた。

昭和43年頃英賀神社を来訪し木村宮司と稲田了意(姫路市職員)と対談された。「物語」は御着城小寺城主の家老黒田官兵衛が主人公で、秀吉の播州攻略に尽くした物語である。英賀城主三木氏・英賀衆が石山本願寺一向宗の門徒として大いに活躍した時代で、毛利水軍の援軍5,000人が英賀の浦に上陸し合戦での駆け引きなどが見事に興味深く語られています。

・除幕式で司馬先生は『播磨国は美しい海岸線が多く港は造りにくい。灘とは港がないという意味で小説の題はそこから取りました。私は文学碑など断わりつづけてきましたが初めて地元の熱意に従がいました。先祖が英賀城に籠城し、英賀保を故郷と思って書いた物語の文学碑ができて感無量の思いです』とご挨拶されました。