阿部知二 歌碑
「とほき代の夢みるごとしみやしろの庭べにはるの雨はけぶりて」
戦時中、高橋秀吉氏が英賀神社に阿部氏を案内した時は、ちょうど梅雨の最中で、社務所の縁で資料を調べていた同氏が、ふと見る庭の森に煙のように立ちこめた情景に魅せられて、しばし手を休めて、この日本的な気分を味わいつつ語り合ったので、後に「煙雨」という創作が発表された想い出もあり、将来復元して「煙雨の庭」として天下にその名を伝えようと宮司に話したとのエピソードが伝わっています。
写真は、当神社の御神木「竹柏」と阿部知二氏。

「大正の姫路」 著:高橋秀吉氏 (昭和49年8月1日発行)より
※ 高橋秀吉氏 (郷土史の生き字引―と呼ばれた『姫路市民博士』明治32年生まれ 旧制姫中(現 姫路西高)卒 昭和54年 没 )
明治36年、岡山県生まれの 阿部知二 は、9歳のとき教師だった父の転任で、姫路市に移り住みます。旧制姫路中学(現・姫路西高校)を5年制のところを4年で修了し、旧制第八高等学校(現・名古屋大学)を経て、東京帝国大学(現・東京大学)英文学科を卒業。在学中同人雑誌「朱門」に、はじめての小説『化生』を発表し、その後、小説を中心に取り組みます。
昭和5年、雑誌新潮に「日独対抗競技」を発表し、文壇に認められます。
昭和10年「文学界」同人となり、『冬の宿』を発表し、作家的名声を確立しました。
昭和27年、母校である姫路西高校の校歌作詞を依頼され、「友にあたう」と題する校歌を作詞しました(作曲は山田耕筰)。